元・脱税税理士・アルコール依存症・借金3億円・投資失敗・ギャンブル・逮捕歴3回・預金差押・競売・夜逃げ・離婚の経験を経て

【超重要】簡単な3つの習慣。少しの知識・テクニックで問題を時間がスムーズに解決します

元・脱税税理士として人生を振返り、何も隠す事なく全部書きました。

(下にスクロールしながら飛ばさずに読んで貰えると嬉しいです)

あなたがこの記事を読んでどの様な感想を持つか分かりませんが、ほんの一部の方に響いて貰えたらと思ってます。

(正直、殆どの方は軽蔑・批判する内容かと思いますので)

私はこの経験で失ったものもありますが、得たものもあります。

貴重な経験をしたと思っています。

そして、中小企業の経営者や個人事業主の方の本当の悩みも理解しています。

興味・ご相談がある方は何でも結構です。解決できると思います。

一番下のお問い合わせよりメッセージください。

(相談料は頂きません)

はじめまして。Mと申します。

簡単なプロフィール

1975年生まれ。父・母・妹・柴犬の4人家族育ち。男。48歳。田舎育ち。

現在独身(バツイチ。子供娘2人)。

小学校時代

3年生の時にサッカーと出会います。

住んでいた地域がサッカーが盛んな地域で、私も疑問もなく自然とサッカーを始めていました。

今思えば、当時Jリーグもない時代に小学校から社会人まで地域一帯でサッカーの組織運営が出来ている所は全国的に見ても他にサッカーで有名な静岡県位しかなかったと思います。

毎日、平日放課後は校庭で練習、土曜日は市(7つの小学校)のクラス対抗のリーグ戦、日曜日は小学校対抗のリーグ戦などサッカー漬けの毎日でした。漫画のキャプテン翼も同時に発売され無我夢中で見ていました。勉強をした記憶はほとんどありません。。

サッカーを始めると友達も沢山できて、サッカーも段々上手くなり小学校4年生の時には市の選抜、県の選抜まで選ばれました。

初恋もしました。小学校1年生から4年生まで同じクラスでした。

この子とはまさかの現役で合格した大学でそれも同じ学部で再会します。

小学校時代サッカーがあったからとても充実した時間を過ごしていたと思います。

小学校5年生の時に父の仕事の都合で同じ県内の小学校に転向しました。その地域はサッカーより野球の方が盛んな地域で放課後にサッカーを遊び程度する位でした。

そして地元の中学校に進みます。

中学校時代

地元の中学校に進み、そこでもサッカー部に入部しました。たまたま東京から引っ越してきた同級生がサッカーが上手く、はじめて自分よりサッカーが上手いなと思ったのを覚えています。

上には上がいる事を学びました。

勉強では中間テスト・期末テストの度にクラス順位・学年順位が分かり、また偏差値というものに初めて触れました。

勉強が好きという事ではなく、勉強をすれば順位・偏差値が上がることに何故か達成感を感じ、中学校2年生くらいから部活と勉強を両立して生活していた様に思います。

また、いわゆる不良やグレル事には何も関心がなくバイクやタバコ・シンナーなども無縁でした。

ある意味、両親・先生からすると手のかからない子・生徒だったと思っています。

三年間部活と勉強を両立し、県内で多分5、6番目位のいわゆる田舎の自称進学校(偏差値65位)の県立高校に進みます。今では東大も毎年10人近くでる様な高校になったと聞いています。

「私立はお金が高いので県立頑張ってね」と母親に言われていたのも覚えてます。

高校時代

高校でもサッカー部に入り、3年間続けました。サッカー、勉強を両立し多少の恋愛も経験しあっという間の三年間だった気がします。

高校卒業後は、周りが99%大学に行く高校だったためか、将来やりたい事もなかった事もあってか自然と周りに流されるように大学受験をしていました。

あとはただの「東京へのあこがれ」だけでした。

育ったのが田舎なのでどうせ大学に行くならテレビで見る華やかな東京に行きたいと思っていました。

当時の彼女と一緒に図書館で勉強していた事も懐かしく思います。

結果6つ位大学を受験し、2つ合格、そのうちの1つに進学しました。

仮面浪人時代

大学に入学し、サークルなどに入り楽しい大学生活が始まると思いワクワクしながら入学しました。

ここで、ある出来事が起こります。

高校三年生から付き合っていた彼女は医学部を目指し浪人していました。自分は大学生、彼女は浪人生でした。私も大学に入学したものの第一志望の大学ではありませんでした。

彼女が大変な苦労をしているのに自分だけ楽してると思ってしまい、両親に大学を受け直したいとお願いしました。

今思えば何も言わず、「好きなように頑張りなさい」と言ってくれた両親には本当に感謝です。

両親の承諾を得て仮面浪人(大学に通いながら大学を再受験する)したものの、直後まさかの彼女から「大学受験に専念したいから一旦別れたい」と衝撃の告白を受けました。

人生で初めて「死にたい」と本当に思ってしまいました。。。若かったなあ。

その後、泣きそうになりながら仮面浪人を続け何とか現役時代の第一志望の大学に合格し大学に進学します。(本当は早稲田に行きたかった。落ちました。)

別れた彼女とは寄りが戻ることはありませんでしたが、風の便りで彼女も医学部に合格したと聞きました。心から喜びました。

大学時代

大学に入学し、まず最初にした事は「ナンパ」でした。受験勉強から解放され、特にやりたい事もなく、大学の勉強も興味もなく、遊びたい・遊びたい・遊びたい、それだけでした。

毎週のように新宿・渋谷に友人とナンパに出かけ、当時携帯電話もあまり普及していなかったのでナンパしてポケ番(ポケットベル)を交換して合コンなどを繰り返していました。大学1年生でやった事と言えば「ナンパ」、「スロット」、「競馬」、「バイト」でした。

そして、のちにこの「ナンパ」で知り合った女性と結婚する事になります。

大学2年生になり夏が近づくにつれて、また海・新宿・渋谷でのナンパが待ち遠しくなりました。そしてその夏も思う存分遊びに遊びました。本当に毎日充実していました。

夏が終わる頃、大学の教科書を買う為に御茶ノ水の本屋に行きました。用事を済ませ帰ろうと本屋を出ようとするとたまたま「資格」の本が目に留まりました。

パラパラとめくってみると「税理士」と言うページがたまたま開きました。

読んでみるとこう書いてありました。

「社会的地位も高く高収入が期待される」

なんだこれ?と思い読んでみると主な仕事は税金の計算をするという事だけは分かりました。

計算?

実は私、小学校から高校まで何故か算数と数学だけは出来たんです。ほかの科目はそこそこで算数・数学だけはあまり勉強しなくても出来ました。計算=数学みたいに思ってしまい、しかも「社会的地位も高く高収入が期待される」。

直観的に「これだ!」って何故か思ってしまい税理士を目指す事を決めました。

ちょうど、ナンパや遊びにも飽き出していた事もあり直ぐに両親に連絡し、税理士の専門学校に入学したいと伝えました。

そこから遊びは一切せず、大学・専門学校・バイトの「三足のわらじ」の生活が始まりました。

夕方6時から9時に専門学校、10時から朝5時までアルバイト、仮眠を取って昼間は大学と言う生活でした。睡眠時間は3時間から5時間です。若いから出来た事ですね。

のちに結婚する彼女も献身的に私の受験生活を応援してくれました。感謝しかありません。

無事4年間で大学を卒業し(実際は仮面浪人しているので5年間ですが)、就職・受験生活に入っていきます。

会計事務所勤務・受験時代

税理士試験は法人税や所得税など税金の科目をそれぞれ受験し全部で5科目合格すると税理士になる事ができます。

一度合格した科目はずっと有効で5科目集めるようなイメージです。ドラゴンボールみたいですよね。

大学を3月に卒業し、8月の税理士試験までは受験のみに専念し、9月から都内の会計事務所に就職しました。

夕方まで仕事をし、夜は専門学校に通うという生活でした。これもまた忙しかった。

一人暮らしの自宅でビール1本を飲んで寝るのが楽しみでした。

会社では社会人として、また専門家として本当に基礎を学ばせて頂きました。本当に感謝です。

そして就職して2年目に、無事5科目合格し4回の受験で税理士資格を取得する事ができました。当時26歳でした。

税理士独立開業

税理士試験に合格後は人との出会いの場が広がりました。同業の外部の税理士先生と会う機会にも恵まれ沢山の刺激を貰いました。

そんな中、ある税理士さんと話をしている時に「○○君(私)も独立したら?」と何気に言われました。

独立?

当時会計事務所に就職して3年程で実務も一通りしか分からない私が「独立」なんて微塵も思っていませんでした。

その後、日が経つに従い「独立」と言うキーワードが頭の片隅にあるように変化していきました。

その年、前にも書いた新宿でナンパした彼女(一度就職した時期に別れていましたが、その後縁があり付き合っていました。)と結婚を意識するようになり、それならば結婚と独立同時にやってしまえ、まだ若いし失敗しても30歳までなら他に雇って貰える所もあるだろうと考え、会社に相談し独立することにしました。

2002年の事でした。(サッカーの日韓ワールドカップがあった年です)

この年はいろいろな事が起きました。

2月 妹が結婚

3月 父が肺がんの手術

4月 サッカー日韓ワールドカップを記念し、韓国の税理士とホーム&アウェイの国際交流

8月 自分の結婚式、マンション購入

9月 愛犬(13歳)の死

10月 父の死

11月 母方のおじいちゃんの死

12月 独立開業

こんな一年でした。自分自身も何がなんだか分かりませんでした。

父に税理士として独立した姿を見せたかった。少し時間が足りなかったです。

そんなこんなで2002年年末にお客さんゼロの状態で独立開業しました。

結婚もして、マンションの住宅ローンもあり、お客さんもゼロで不安しかありませんでしたが、「やるしかない」。それだけでした。

税理士事務所軌道に乗る

27歳の時、税理士として開業(当時最年少開業税理士でした)したもののお客さんはゼロです。知人の税理士の紹介で経理・税金関係のアルバイトをしながらの営業活動をしました。

税理士会に顔を出したり、銀行に挨拶回り、本やセミナーで集客の勉強、ホームページを作成する等お客さんを獲得するために出来る事は何でもしました。

どうしたらお客さんを獲得できるのか。いつも考えていました。

その甲斐もあってか2年目には売上が年間1500万円を超えました。この税理士という職業は基本的に経費があまりかかりません。物を仕入れる訳でもなく、人を雇わず一人でも出来るからです。

その後、売上は年間2000万円、3000万円、4000万円、、、と順調に増えていきました。実質一人で経営していたため経費を引いた残りは全部自分の利益でした。

その頃には家族も2人増えていました。長女・次女が産まれ、仕事も家庭も充実していました。

時間をなるべく掛けないように効率的に仕事をする様に心がけていたので、時間はある程度自由、お金もそこそこ余裕がある状態だったと思います。

子供が小さい頃は、ゴールデンウイークや年末年始などの混む時を外し、海外や国内旅行など沢山行きました。子供達にとっても貴重な経験を沢山させてあげられたかなと思っています。

お酒という悪魔・投資①

話は少し変わりますが、私がお酒を初めて飲んだのは19歳だったと思います。

大学、社会人と進むにつれお酒を飲む機会も増え、適度にお酒を飲んでいました。決して強い方ではなかったと思います。

美味しいと思うこともあまりなかったです。お酒が好きと言うよりも一緒に飲んでいる人との会話やその場の雰囲気が楽しくてお酒を飲んでいたと言うのが本音です。

たまに飲みすぎる事もあったり、記憶が少しない部分があったり等はありましたが、あまり気にもしていませんでした。

また、お金にも余裕が出来たことから30歳位から株などを始めました。その頃FXがブームにもなり「専業主婦が3億円稼いだ」などの本も出版されていました。

ある時FXで100万円投資したお金が数時間後に300万円・500万円になっていた事も何度もありました。

週に2、3日は昼間は仕事をし、夕方5時からお客さんと食事、プライベートでは行きつけの居酒屋やバーなどに足を運び、夜12時位には自宅に帰る。その他の日はまっすぐ自宅に帰り家族と食事をし、子供たちと遊んだり・話をしたりする。

初めの頃はこんな生活でした。理想的でした。

お酒という悪魔・投資②

ところが、今振り返っても「いつから」そして「何が原因で」と言うのが本当に自分では分からないのですが、お酒を飲む回数、飲んでる時間、飲んでいる量、使うお金も段々と増えていきました。

二日酔いになり仕事も集中できなかったり、お客様とのアポイントを変更したり、仕事を休んだりした事も増えて行きました。

その様子を察知した妻が心配してアルコール依存症病院に一緒に行こうと提案してくれました。

自分の気持ちは「いかなくても自分で解決できるから大丈夫」。それだけでした。全く人に耳を貸さなかったと思います。

その後も状況は変わらず、私も「これはまずい」と真剣に思うようになり、妻と一緒に2か所くらいのアルコール依存症病院に行きました。

診断の結果は、「アルコール依存症」でした。しかも重度の。

アルコール依存症と聞くと毎日昼間からお酒を飲んで手が震えているような事をイメージすると思いますが、私の場合には自宅ではお酒は飲みませんでしたし、我慢もしていませんでした。

ただ、外で飲んだ時に自分でアルコールをコントロール出来ない事(いわゆる飲みすぎ)があると言う状況でした。

お医者さん曰く私のようなケースが一番厄介です。とも言われました。

結果良い時、悪い時もありながらも、こんな生活が15年位は続いたと思います。

この間にも、東日本大震災で母親を亡くしました。昨日まで電話で普通に話をしたのに、翌日には亡くなっていました。「男はみんなマザコン」などのキーワードもありますが、僕もお母さんが大好きでした。本当にショックでした。毎日思い出し、涙が止まらない事もしばしばありました。

その間も、お酒を飲んで記憶を失ったり、お店や他のお客さんにも迷惑をかけ、挙句の果てには警察にも迷惑をかけ、お酒が原因で過去に3度逮捕されてしまいました。

FXなどの投資も金銭感覚が麻痺していたと思います。損失を出しても、「また証券口座にお金を入れれば取り戻せる」としか思っていなかったと思います。

税理士と言う立場からなのか、銀行などから簡単に借入する事ができました。銀行員も、「先生、今は使い道がなくても今後の為に1000万円の借入付き合って貰えませんか?」、「当座貸し越しで1500万円の枠だけ作っておきませんか?」などと営業も沢山ありました。

本業の売上は順調に伸びていたので借金をしても本業の利益から返せるという位しか思っていなかったと思います。投資→赤字→借入→投資→赤字→借入を繰り返していきました。

ただ、今思えばこんな生活をしていた私をクライアントのお客さんも何かの異変を感じ取っていたのかもしれません。

お酒の飲み方も段々ひどくなり、朝まで飲んだり、昼間に飲んだり、使う金額も増えていきました。人からお金も借りるようになり、お店にも付けをし、銀行からも借入と言う状況でした。気が付くと住宅ローンなども含めて3億円近いお金を借りていました。

それでも、まだ私は本業の利益で10年もあれば全額返済できると思っていました。

冷静な判断・行動が出来ていなかったと思います。

税務調査・税理士資格停止

そんなある日の事です。ある電話が鳴りました。

「○○税務署です」

「先生(私)の税務調査を行いたいのですが、、」

税理士、私自身に対する税務調査の連絡でした。

もちろん、税理士も税務調査の対象になります。私の地域でも毎年2、3人の税理士が税務調査を受けていると思います。

最初に結論を書くと、私は「売上除外」をしていました。そうです。脱税していました。

お客さんからの売上の一部を除外し、税務申告していました。

投資の失敗やその他の借金返済、アルコール依存症の状態で精神的に壊れていた時期だったと思います。

詳細は省きますが、半年から一年の税務調査期間が終わり、内容が悪質と判断され税務署から国税局に管轄が変わり、結果的に追加納税と税理士資格停止の処分が下されました。

停止期間は1年4ヶ月でした。

自業自得です。弁解の余地は何もありません。

別居・離婚

税理士資格停止の処分とは前後しますが、ある時自宅に帰ると自宅の前に引っ越し業者のトラックが止まっていました。

「ん?何だ?」と思い自宅に帰ると、自宅の家財道具が一切なく、中には妻と弁護士がいました。子供たちは学校に行っていて留守でした。

平日の昼間に私に分からないように、引っ越しするタイミングに私がたまたま帰宅した状況でした。

弁護士から

「○○さん(私)、奥様は離婚と別居を望まれています。」

「また、今後は勝手に奥様とお子様に会うことはできません」

と言われました。

晴天の霹靂でした。

結果3年程の別居期間もあり離婚が成立しました。

冷静に今までの私の生活を振り返ってみると妻も限界を感じた事は明白だったと思います。

妻自身も何度も私に歩み寄り、良くなってもらいたいと努力し続けてきたと思います。

その気持ちを踏みにじり裏切ってきたのは私です。

子供達にも辛い思いをさせる事となってしまいました。

自業自得です。

取り立て・差押え・競売・夜逃げ

精神が安定していないと仕事も集中できなくなり、沢山のクライアントに迷惑をかけたと思います。

税理士資格停止もあり、借金の返済・税務調査による納税が難しくなってきました。

国税局・区役所・銀行その他各債権者から毎日のように手紙・電話がありました。銀行口座の差押え、不動産の差押えも受けました。事務所は賃貸でなく所有していたので、自宅とともに事務所も競売の対象になりました。

毎日夜寝る前は「朝が来るのが怖い」という思いでした。

見る夢も今まで見た事も無いような嫌な内容の夢を見る様になり、眠りも浅く、寝汗が酷い状態でした。

そんな状態が続き、本当に精神的に限界になりました。死も何度も考えました。結果、出来ませんでした。

何もかも嫌になり・精神状態も異常だったと思います。おそらく鬱病です。

何も冷静に物事を判断できない状態だったと思います。

そして、

知らない土地に一人で逃げました。

最低な選択だと思いますが、その時の自分には本当にその選択しか出来ませんでした。

結果、当然に沢山の人に迷惑をかけました。

あるきっかけ・そしてこれから

知らない土地に行き、毎日今までの事を振り返りました。

朝早く起き、ボランティアやちょっとした手伝い・仕事をしつつ人生を振り返るために時間を使いました。

本当に毎日毎日辛かったあの日を思い出しました。

忘れてはいけないと思っています。

毎日今までの出来事や経験を振り返って行くうちにシンプルな考えが浮かんできました。

私は今まで仕事・プライベートを含めて沢山の方々の成功・失敗を身近で見てきました。(もちろん自分自身も含めて)

そして、個人個人生き方・考え方は違うし、人生を幸せにする完全な法則はありませんが、仕事・プライベートで人生を豊かにしている人には一定の法則がある事にも気づきました。

それはお金もあまり掛からないし、本当に簡単な事でした。

私も今はそれを実践しています。

今、あなたも厳しい状況にいるかもしれません。

毎日毎日、人間関係・仕事・お金の事やの事で頭がパニックになっているかもしれません。

でも大丈夫です。本当です。

こんな私でも実践し、精神的な幸せを取り戻しつつあります。

少しでも私と同じように苦しんでいる・苦しんだ方の手助けをしたいと考える様に思いました。

最後に

ここまで読んで頂いて感謝します。

本当にありがとうございます。

(多分、99%の方がここまでたどり着いていないとは思いますが)

あなたがどの様な感想を持ったかは分かりませんが、1000人の方に読んで頂いてその中の1人のあなただけに響いて欲しいです。

もし、今抱えている問題を少しでも解決したいと思っている中小企業の経営者・個人事業主の方(もちろんサラリーマンでも大丈夫です)は下記のお問い合わせフォームよりメッセージください。メッセージ欄に悩みや解決したい事を箇条書きにして貰えるとスムーズです。

折り返し、電話でご連絡しますので、メールにあなたのご住所・携帯電話番号・電話のご都合が良い候補日・時間帯を記載して返信ください。

相談料は一切頂いておりません。ご安心ください。

実際のご相談は対面でさせて頂きます。

初回に少なくても2時間から3時間はお時間を頂きます。

初回のご相談後、私と契約するかご判断ください。

それまでは料金は一切頂いておりません。

また、全国対応しておりますが、交通費は負担して頂いております。

東京・神奈川・埼玉・千葉県の首都圏近くに関しましては無料で対応させていただきます。

現在、私は税理士として活動も出来ますが、これは、「私と税理士の契約をして欲しい」という次元の低いお話ではありません。

私はあなた・あなたの会社を良くするために本気です。

キーワードは

一人・反応・時間・利用の4つです。

詳しくはご相談の時にお話しします。当日私も改めて自己紹介させて頂きます。

私自身が対応しますので、時間的・日数的な事を考慮し、契約は10社(10人)とさせて頂いております。(2024年現在4社と契約中。)

ご連絡お待ちしております。